「チンギス・ハーン長城」報道の顛末

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チンギス・ハーン長城のGoogle画像。第29堡(方形)と第30堡(円形)の北に長城ラインが東西に延びている。モンゴル国ドルノド県ゴルワンザガル郡ホロスティーン・ホンディー。

2020年6月9日(火),AFP通信社はエルサレム発のニュースとして”Part of China’s Great Wall not built for war: study”という記事をWEB配信した(同社の日本語版WEBニュースでは「万里の長城の北方区間、侵略防ぐ目的ではなかった 研究」という見出し記事)。これを受けた考古学関係のニュースサイトThe Archaeology News Networkが同日同じ見出しでWEB配信し,モンゴル国のWEBニュースサイト「イコン ikon」がモンゴル語で配信した結果,モンゴル人が広く知るところとなった。

チンギス・ハーン長城の位置。Antiquity誌掲載論文より

配信記事中の「万里の長城の北方区間」とは,モンゴル国東部にある通称「チンギス・ハーン長城[注]」のことである。モンゴル人の英雄の名を付されたこの歴史遺物が中国の「万里の長城の一部分」という位置づけで,しかもその調査成果が国外のメディアで最初に報道されたことについて,当初モンゴルの考古学者たちは強い不満をネットにコメントした。しかし,6月10日にはモンゴル側共同研究者がFaceBookの「モンゴル考古学」グループで,この調査はモンゴル科学アカデミー考古研究所,イスラエルのヘブライ大学,アメリカのイェール大学が共同で2018〜2019年にドルノド県で行った公式なものであり,その成果は世界的権威を有するイギリスの考古学雑誌Antiquityに6月7日付けで公表されたが,モンゴルのニュースサイトでやや誤った翻訳が拡散したのは遺憾であると表明し,一段落した。ちなみに中国の新華網は「万里の長城の北方区間はチンギス・ハンとは無関係」という見出しで配信,日本メディアは時事通信がAFPの報道を論評抜きで流している。

Antiquity誌掲載論文の最初のページ。

Antiquity誌の論文の要点は,1)共同調査チームは2018〜2019年にモンゴル国ドルノド県などで「チンギス・ハーン長城」と呼ばれる万里の長城の北方区間737キロ分を現地調査し,72の建造物が小規模な群をなして点在している位置を確定し,この長城は11〜13世紀の契丹・女真の時代に建造されたものであることを明らかにした。2)中国とユーラシア平原の長城は,攻撃的な遊牧部族に対する防御施設と見なされてきたが,この長城は軍事的なものではなく,おそらく税を課すために,遊牧する人々と家畜の移動を監視するか阻止する目的があった。3)中世の寒冷期,特に11世紀末〜12世紀初に人々はより温暖な南方の牧草地を目指していたことと関連する可能性がある,以上3点である。そして,「さまざまな仮説を実証するにはさらなる考古学的な作業が必要だが,この論文で提示したデータと分析は、中世の長城システムだけでなく,モンゴルと中国,そしておそらく世界中の他の場所や時期における長城建造の他のエピソードのよりよい理解を促進することにつながる」という一文で論文は締めくくられ,世界各地に現存する「壁」問題を想起させている。

思うに,今回の報道は,イスラエルが研究のプライオリティを握っているかの印象を当初与えてしまった。モンゴル側研究者がそうではないことをアピールした結果,一件落着したが,あらゆるニュースがWEBで速報される現在,国際的な考古学調査にいかにナショナリズムが関わってくるかを改めて考えさせられた。

なお,「チンギス・ハーン長城」の非軍事的な建造目的を提唱する今回の新説は,アイディアとしては興味深いが,今後,歴史学的な検証を経る必要があるだろう。

 

[注]チンギス・ハーン長城

遼代あるいは金代に北方遊牧民の侵入に備えて築かれた防御施設。モンゴル国では「チンギスの壁(Чингисийн хэрэм)」,「チンギスの道(Чингисийн зам)」,「チンギスの壕(Чингисийн далан)」,ロシアでは「チンギスハンの土壁(вал Чингис-хана)」,中国では「遼辺壕」,「金界壕」,「嶺北界壕」などと呼ばれる。モンゴル国ヘンティ県ノルブリン郡が西端で,東進して中国領を通過し,いったんロシア領を通り再度中国領に入ったところで東端となり,総延長737キロ,途中に56箇所の辺堡を有する。遼金代の長城建造については漢文史料から概要を知ることができる。しかしこのチンギス・ハーン長城については史料が乏しく,遼代建造か金代建造かもはっきりしていなかったが,最近の考古学調査によって遼代創建であることが確認されている。これらの長城の構造比較から遼と金における防御思想の違いが明らかにされている(今野2005)。なお,別プロジェクトとしてモンゴルとロシアの共同調査が2008年から2019年まで継続しており,その調査報告書がロシア語と英語の対訳で2020年6月末に公刊された(奥付では2019年刊行)。研究史を始めとし,56箇所の辺堡全てのデータが収録された極めて詳細な報告書である。

 

参考文献・資料

Gideon Shelach-Lavi, Ido Wachtel, Dan Golan, Otgonjargal Batzorig, Chunag Amartuvshin, Ronnie Ellenblum & William Honeychurch, “Medieval long-wall construction on the Mongolian Steppe during the eleventh to thirteenth centuries AD.” Antiquity 2020 Vol. 94 (375): 724–741. https://doi.org/10.15184/aqy.2020.51

Н.Н. Крадин, А.В. Харинский, С.Д. Прокопец, А.Л. Ивлиев, Е.В. Ковычев, Л. Эрдэнэболд, Великая киданьская стена: северо-восточный вал Чингис-хана. Москва 2019. (N.N. Kradin, A.V. Kharinsky, S.D. Prokopets, A.L. Ivliev, E.V. Kovychev, L. Erdenebold,THE GREAT WALL OF KHITAN: North Eastern Wall of Chinggis Khan. Moscow 2019.)

今野春樹「遼金代の長城について ―その目的と機能の比較―」『北東アジア中世遺跡の考古学的研究(平成15・16年度研究成果報告書)』2005年,pp.48-62.

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