ジョルジ・カラ先生の思い出

研究
T.C. Steele State Historic Site(米国インディアナ州)にて(2016年)

執筆:武内康則

ジョルジ・カラ先生が2022年4月16日にお亡くなりになりました。今年1月に先生から最新の論文が添付された新年の挨拶をメールでいただき、変わりなくお過ごしのことと思っていた中での突然の訃報に私は驚きを抑えることができませんでした。

私がはじめて先生とお会いする機会に恵まれたのは、大学院生であった2010年のことでした。日本学術振興会の若手研究者海外派遣事業によって、在外研究の機会に恵まれたのです。私は当時、契丹語・契丹文字を対象に研究を進めていましたが、中期モンゴル語やその他のアルタイ諸語古語の文献学的研究にも研究対象を広げたいと考えており、それらの研究をどのように並行して行っていくかなど、研究の方向性について悩んでいました。カラ先生は、長年モンゴル学やアルタイ諸語の文献研究の分野で先導的な研究を続けながら、契丹文字研究の分野でも重要な貢献をしてこられましたので、私にとって理想の研究者であったことから先生の元で学びたいと考え、受け入れのお願いをしたのです。先生は、一度も会ったことのない私の受け入れを快諾してくださり、それをきっかけとして先生と縁をいただくことになりました。その後にも再び客員研究員として受け入れていただく機会もあり、多くのことを学ばせていただきました。

私の滞在中には定期的に時間を取っていただき、先生と契丹語やモンゴル語史に関して議論することができました。当時、私が執筆中だった論文についてご意見を求め、また、新しく発見された契丹文字の墓誌を写真や論文など参照しながら一緒に検討し議論するなど、私にとっては理想的ともいえる充実した時間を過ごすことができました。カラ先生についてもっとも印象的に心に残っているのは、その物静かで穏やかな人柄です。先生は私の未熟な意見に関しても、全く偉ぶることなく静かに耳を傾け、的確で丁寧な批判とアドバイスをしてくださいました。また、契丹文字の資料を検討する際には、先生自身も契丹文字に大変興味を持っていらっしゃったこともあり、文字や単語のひとつひとつについて多くの言語のさまざまな資料に触れながら、何十分あるいは何時間も先生が自身の意見を共有してくださりました。その時に見ることができる先生の幅広い知識や洞察、そして時折混じる独特のユーモアが私は好きで、「さすがだ」と思うと同時になぜか嬉しくなったことを覚えています。また、先生の話には、先生の師であるラヨシュ・リゲティ氏の名が出ることがよくありました。「私の先生は・・・」と学術的な見解だけに留まらず、さまざまなエピソードを懐かしく語られ、また、あるときにお会いした際には「最近私は(リゲティ)先生が残された仕事をしているんだ。」とおっしゃっていました。先生との会話の節々にリゲティ氏に対する深い敬意や思慕を感じたことを覚えています。

私が最後にインディアナ大学をお訪ねした時には、先生はすでに80歳を超えていらっしゃいましたが、精力的に研究を続けられ、また世界各地から先生のもとを訪れる若い研究者を受け入れておられました。若い研究者たちと接することを楽しんでおられたのかもしれません。先生は広い分野で偉大な業績を残されましたが、先生の偉大な貢献の一つは後進の指導であったのではないかと思います。しかも、先生が直接教えられた学生だけではなく、私のようにそれ以外のものに対してもあたたかく指導してくださりました。あらためて生前の先生のご業績とご指導に思いを致し、心から敬意と感謝の念を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

T.C. Steele State Historic Site(米国インディアナ州)にて(2016年)

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