モンゴルでの新発見の突厥碑文速報

研究

2022年8月24日15:00からモンゴル国ウランバートルのプレスセンターでカザフスタンとモンゴル側のプロジェクト責任者たちが新たに発見された突厥碑文・遺跡について共同記者会見を行った。カザフスタン共和国側からは、カザフスタン国際テュルク・科学アカデミー(The Turkic World Educational & Scientific Cooperation Organization (TWESCO; Kazakhstan))総裁のダルハン・カドゥラリ(Darhan Kıdırali)氏、ナピル・バズィルハン(Napil Bazyrkhan)博士が、モンゴル側からはモンゴル科学アカデミー考古学研究所のエレグゼン(Eregzen)所長、A.エンフトル(Enkhtör)博士の4名が報告に臨んだ。

カザフスタン共和国の首都アスタナに本部を置く国際テュルク・アカデミーとモンゴル科学アカデミー考古学研究所は、2016年以来、モンゴル国における古代テュルク碑文・遺跡に関する合同遺跡調査を実施し、2016年にはボルガン県の、これまでの説では突厥第二可汗国の創始者イルテリッシュ可汗の墓廟記念碑とみなされてきたアルハンガイ県ハイルハン・ソムにある古代テュルク遺跡のシヴェート・オラーン遺跡を発掘した経緯がある。

2019年にはその継続プロジェクトとしてモンゴル国のアルハンガイ県で突厥時代の墓廟遺跡の調査を実施し始めたが、その後の新型コロナ感染拡大のため、2年間の調査の中断を余儀なくされた。今年はハシャート・ソムのノムガン渓谷の谷筋の6基の土堆遺構の中から、東方に並ぶ未加工列席(突厥文では「バルバル」と期される)が付属する突厥時代に特有の遺跡のひとつを発掘調査したところ、マウンド中央のトレンチ抗に沿って、西から犠牲石、獣面丸瓦片、参道用の敷石、碑頭部、その台座にあたる亀跌、獅子立像、雄羊立像などの遺物が出土した。本共同調査隊のメンバーにはカザフスタン側からはDarkhan Kydyrali, Napil Bazylkhan, Nurbolat Bogenbaev, モンゴル側からはD. Tseveendorj, A. Enktör, Ts. Buyankhishig, G. Batbold, N. Tsengel, and M. Uuganbayarが含まれている。(なお、D. Tseveendorj博士は本年の調査前にお亡くなりになっている。ご冥福をお祈りいたします)。

図1:碑文発見当初の調査員+モンゴル考古研所長との記念撮影

:中央がカザフの国際トルコ・アカデミー総裁のDarkhan Kydyrali,向かって右側がモンゴル考古研Eregzen所長,その右がカザフ人のNapil Bazylkhan博士、真ん中の左側がモンゴル人A. Enktör博士、その左がカザフ人のNurbolat Bogenbaev博士などである。

 

図2_1:碑頭の表面

図2_2:碑頭の裏面

遺跡全体の規模は 東西49 m、南北41.5 m の東西に長い長方形で、マウンド西方にはオルホン渓谷のキョルテギンやビルゲ可汗の墓廟の西方に安置された犠牲獣をささげる、真ん中に円形穴をもつ方形の台が掘り出され。その東側にあたる地点からは廟堂があったことを想起させる獣面の丸瓦片などが出土した。さらにそこから参道があり、その途中に、碑頭が半円形に細工された碑頭断片が掘り出された。またその周辺からは本来、廟堂の入り口付近に安置されていたであろう2体の子供のライオンを抱く獅子立像、そして東門前に置かれる2体の雄羊立像がほりだされた。差廟堂の入り口から東方に伸びた参道にはまた、建物内に信仰の場があったことを示す煉瓦の遺構や、参道に敷かれた粘土の敷石が発見された。

図3:ノムゴン遺跡のマウンドの調査風景(西側から東側へ)

掘り出された碑文の表には碑額が刻まれ、碑額の中やその両脇には、何らかの模様が刻まれているが、その形状は不明である。記者会見では、オルホン碑文などにみられる龍もしくは狼の像を想定しているようである。また碑文の表には、中央に二重の陰線で囲まれた碑額と碑文部分を分離するように、横に線が引かれ、碑文はその下から界線に沿って刻まれている。現在は12行の箇所に突厥文字(古代テュルク・ルーン文字)が陰刻されている。なお、裏面にも同じく、古代テュルク・ルーン文字が刻まれていると報じられているが、現行の写真からでは、真偽を定めがたい。また碑文頭部の側面(第三面と報告されている)にも文字が刻まれており、ソグド文字と報じられているが、写真は発表されておらず、今後の調査・解読が待たれる。
マウンドの東方には51個の未加工石(バルバル石)が建てられ、そのうち5個には突厥王族の紋章である雄ヤギタムガが印刻されているのが確認されている。雄ヤギタムガがバルバル石に刻まれた事例は、ビルゲ可汗、キョルテギンを始めとする突厥王族に関係したバルバル石に共通してみられ、こうした点からも本遺跡が突厥王族のために建てられたか、あるいは突厥王族の配下の者が本遺跡の建設に関わったことを裏書きするものと言える。

図4:碑文の台座となる亀跌(背中に方形のほぞ穴)

図5:マウンド西方にある方形の供犠石

図6_1:マウンド東方に続くバルバル石(アシナの雄ヤギのタムガ)

図6_2:獅子立像

また碑文が建てられていたマウンド中央あたりからは、頭部が壊された亀跌が出ており、こうした亀と碑頭の形状からもみても、本遺跡の被葬者が突厥可クラスの人物、あるいはそれに次ぐ高位の人物であることは間違いない。
本遺跡とそれに伴う突厥文字碑文の発見は、遊牧民自身が自らの手で記したという意味でも、突厥文字とソグド文字による複数の表記体系を持つという意味でも文字学的・言語学的に大きな財産を獲得したことであり、従来の不明なモンゴル高原の歴史に新たな光を投げかける極めて重要な発見であり、大いに評価できる。ただし、問題点は数々残されている。

 

本報告者は、碑文の突厥ルーン文字面から「クトルグ・カガン」、「テングリ」、「テュルク」「テュメン」などの古代テュルク語が検出されたと報じている。しかし筆者によれば、写真からは先の「クトルグ・カガン」は本碑の表面の第4行目に、「テングリ」はその前の第3行目に記されているのは確かであるが、後の「テュルク」や「テュメン」の表記については筆者が見る限り、碑文の表面の写真からは確認できない。

なお、碑文前面の第1行目には「ud yïl tokuzunč ay… (丑年第9番目の月…)」という読みは確実であり、本碑文内容や建造時期を考察するうえで、大きな手がかりを与えるものである。

一方、問題なのは、報告者がこの「クトルグ・カガン」という表記を根拠として、本碑文の主人公を突厥第二可汗国の創設者である骨咄禄(Qutluq/Qutluγ)という名をもった初代のイリテリッシュ可汗に比定している点である。

図7:ノムゴン碑文の表面の「クトルグ・カガン」 と読める箇所。

筆者が写真から視認できたこととして、報告者が検出した上記の表現は、本碑文の主人公の出自を紹介する件の中で触れられた箇所でしかなく、これを主人公の特定と関連付けるには早計である。今後の碑文本体の読みも含めて、全体のテキストの中から主人公を特定する作業が必要であろう。ちなみに「クトルグ・カガン」は「幸い持てるカガン」として「クトルグ」をカガンの形容詞とみて解することもでき、そうなると突厥可汗たる資質となる「カリスマ性をもつ」という意味ともなり、直ちに人名もしくは固有名詞とはみなせない可能性もある。現時点では、碑額の部分しか見つかっていないのだから、今後の発掘作業で、それに続く碑文の本体が見つかった時点で、さらに主人公の特定作業を行わなければならない。その意味でも今後の調査の継続と発掘成果を期待せずにはおれない。

また本遺跡はオルホン河右岸の山岳地域に挟まれた渓谷草原であり、いわゆるハンガイ山脈に源流をもつオルホン川沿いの草原地帯につながるものの、突厥第二可汗国の第3代ビルゲ可汗やその弟キョルテギンの墓廟が位置する地点とはやや離れている点も気がかりである。墓廟の位置関係は、権力者の関係を示すものであり、本遺跡の被葬者がもし彼らの父であるならば、何故、ビルゲ可汗廟近郊ではないのか、こうした地理的条件や環境面も含めて、本遺跡の被葬者の生前での立場の反映として分析を進めてゆく必要がある。

また遺跡全体の規模もビルゲ可汗の墓廟と比較してもやや小ぶりである点も注意すべきである。東方に伸びるバルバル石の数が51しか見つかっていないという点も気になる、キョルテギンの墓廟では現存125個であり、もしくはその義父であるトニュクク碑文で、優に200は超えている。何故、その父であり、もしくは上司であった父の可汗の墓廟が彼らのそれゆえ小ぶりで、バルバル数も少ないのか、説明がつきにくい。従来、イルテリッシュ可汗の墓廟遺跡と見なされてきたシヴェート・オラーン遺跡との関係はどうなるのかも、気になるところではある。本遺跡のマウンド西方の墓廟の屋根瓦として使用されたと思われる獣面丸瓦については、その模様などに関して、同時代のオルホン遺跡や他の遺跡から出土した丸瓦と比較検討することで、本遺跡の作成年代を割り出す一つの材料となろう。

図8:マウンド中央の基壇付近から出土した 獣文丸瓦片

なお、報告者は今回の発掘からは、犠牲に葬られた羊や牛などの動物骨などの有機体物質の検出を報じていないが、今後の発掘調査で新たに検出される可能性があり、こうした考古学的資料の科学的分析と知見も踏まえることで、本遺跡の作成年代や成立背景を明らかにする手がかりになるものと期待される。

参考資料としては以下のウエブサイトの記事があり、本速報中の写真はすべて関係のサイトのfacebookから転写させていただいた。ここに感謝いたします。

https://www.facebook.com/centerforthestudyofeurasiannomads/

https://twesco.org/post/1095?fbclid=IwAR0rKra_SqUHJ0SnBI82myCFSCkZ3Um9e18wi3TG-xVomClLWqn2kIBLcr8

https://www.facebook.com/turkicacademy/videos/2177807989063148/

https://twesco.org/post/1094

https://ikon.mn/n/2na3?fbclid=IwAR2cwwJbYBESQb8H-zlqajx8hDQM1Re8napa2LI742qhBDb-q2JwIVCYWTI

https://www.facebook.com/centerforthestudyofeurasiannomads/posts/pfbid029xqpr5VQemRT2w9vR1TvpDjoHA4wWMYCGmPBKFaG7ubi1sJiobpHFKuGDvDVL5HNl

コメント

タイトルとURLをコピーしました