中国のモンゴル語教育の危機

教育
旧カリキュラムへの復帰をもとめる署名運動(シリーンホト)

2020年9月の新学期から施行された小学校・中学校の新カリキュラムに反対する運動が内モンゴルの諸地域だけでなく、隣国のモンゴル、さらには日本をふくむ複数の国のモンゴル人コミュニティのあいだでおこっています。

漢民族以外に55の民族を有する多民族国家中国では、各民族の文化、伝統の保持が憲法で保障されています。民族の独自性を維持していくうえで言語はとくに重要で、憲法では以下のように規定されています。

「すべての民族は、自分たちの口語(はなしことば) [漢語でyuyan (语言), 英語でspoken languages] と文語(かきことば)[漢語でwenzi (文字), 英語でwritten languages] を使用し発展させる自由を有する」(4条)

『民族区域自治法』((Law of the PRC on Regional National Autonomy、1984年制定、2001年修正)では、各民族の幹部に国家共通語の学習を義務づけているだけでなく、漢人の幹部にも各民族語の学習をもとめています。

「漢人の幹部は、その地域の少数民族の口語と文語を学習すべきであり、少数民族の幹部は自民族の口語と文語を学習・使用するだけでなく、国家全体でつかわれている標準語と規範的漢字も学習すべきである」(49条)

各民族の言語による教育はこれまで「民族教育」「民族学校」という制度によって維持されてきました。民族学校にはふたつのタイプがあり、ひとつは大部分を民族語でおこない、漢語も学習するタイプ、もうひとつは基本的に漢語で授業をおこない、民族語の授業ももうけられているタイプです。このような教育を中国では「バイリンガル教育」(双语教育)とよんでいますが、この場合のバイリンガル教育は2言語をおなじような水準で習得させることを意味しているわけではありません。

内モンゴル自治区のモンゴル人の例でいえば、典型的なモンゴル民族小学校のカリキュラムでは、1年生、2年生はすべてモンゴル語で授業をおこない、3年生から漢語の授業がくわわる、というものでした。ところが、新カリキュラムでは1年生から毎日漢語を学習するという方式になっています。もしこのあたらしい「バイリンガル教育」がそのまま実行されると、母語であるモンゴル語のよみかきも十分でない、おさないこどもたちが漢語を毎日勉強しなければならなくなり、こどもたちにとっての負担がきわめておおきいこと、結果的にモンゴル語の運用能力が低下すること、将来、全面的に漢語による教育に移行させるための第一歩とみなされること、これらの危惧が今回の反対運動の要因になっているとおもわれます。

小学校から高校までモンゴル語で教育をうけ、ドイツのボン大学で博士号を取得したモンゴル史の大家チメドドルジ教授(新カリキュラムに反対する発言により内モンゴル大学モンゴル研究センター長を解任)によれば、内モンゴル自治区のモンゴル人460万人のうち、すでに3分の2はモンゴル語の運用能力をうしなっており、のこりの3分の1のモンゴル人のモンゴル語をいかに維持していくかが課題となっています。このようなモンゴル人の言語のうえでの漢化という状況があるからこそいっそう、新カリキュラムへのつよい反対がおこっているといえそうです。

導入されようとしている小学校1年生の漢語の教科書の表紙

 

 

小学校1年生用モンゴル語教科書の表紙

内モンゴル自治区教育庁のホームページに掲載されている新カリキュラムの説明によれば、民族教育政策の変更は内モンゴル自治区にとどまらず、甘粛、遼寧、吉林、青海、四川の各省におよんでいます。吉林省の朝鮮民族学校、青海、四川両省のチベット民族学校でも同様の新カリキュラムへの移行がすすめられようとしていることがわかります。

代表的な民族自治区であるチベット自治区や新疆ウイグル自治区の場合はどうかといえば、じつは新疆ウイグル自治区ではすでに2017年から、チベット自治区でも2018年からすでに新カリキュラムが導入され、1年生から漢語を勉強するシステムが定着しつつあります。したがって、漢語学習の強化は、全中国の範囲ですすめられている基本的な政策の一環であるといえます。

アメリカのペンシルベニア大学のモンゴル史の教授Christopher P. Atwoodが今回の問題についてまとめたWeb論文(“Bilingual Education in Inner Mongolia: An Explainer,” Made in China Journal, 30 August 2020)によれば、民族教育政策の変更のうらには、漢語で「第二代民族政策」とよばれる、あたらしい漢民族中心主義的な民族政策があります。代表的な論客は北京大学の人類学者马戎(Ma Rong)で、かれはソ連の民族政策を参考に中国に導入された「民族区域自治」制度を時代にあわないものとして批判し、アメリカのように各エスニシティの言語は教育言語としないやり方を理想としています。これらの学者たちと中央の教育部の民族政策をになう官僚たちが推進している民族教育が「バイリンガル教育」の名のもとの漢化政策であることをおおくのモンゴル人ははっきりと認識しさまざまな行動にでているものと解釈されます。

 

コメント

  1. この記事の著者東京外国語大学二木博史名誉教授のインタビューが朝日新聞に掲載されました。
    https://www.asahi.com/articles/ASNB136J4N9BUHBI02H.html

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